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5月16日(土)人形展 昭和のこどもたち アーティスト・トークのご案内です(砺波市美術館)

アーティスト・トーク時は振り返らず、ただ過ぎ去るのみ――。この儚い現実に抗するかの如く執筆された大著がプルーストの『失われた時を求めて』である。われらが人形作家・石井美千子さんはそれよりは軽やかに、失われた時を鮮やかに作品化していく。時代のありようを形にする作業は簡単ではないだろう。それでも石井さんは自らの経験や取材などに裏打ちされた蓄積と熱意で説得力のある世界を作り上げている。
この度のアーティスト・トークのタイトルにある「魂の仕事」とは、当館の展示に際して石井さんにご寄稿いただいた文章の題による。その本文をあらためてここに引いておきたい。
『奇しくも昭和天皇が崩御され、年号が平成に変わったその年「昭和のこどもたち」人形制作に着手しました。当時、幼い我が子を取り巻く環境は、自分の子供の頃とは隔世の感がありました。この数百年を一気に縮めたような根本変動を、言葉で言っても伝わらないもどかしさを、人形で「お父さん、お母さんの子供の頃はね。」と一目瞭然のものとして伝えたかったのです。そうしていつの間にか、この世にはいない人たちをモデルにたくさんの人形が生まれました。その豊かな表情は作者のわたしを飛び越えて、見る人たちのそれぞれの想いに語りかけます。親から子に伝えたい想いはいつしか「人間とはなにか。普遍とはなにか。」という素朴な問いに変わりました。科学技術が進歩し、命の誕生の概念さえ変えて人工知能が人間の未来さえも掌握する勢いで進化しています。無機的な世界に生まれて来る次の人たちに、人間の内面の強さ豊かさを伝えるのがこの仕事の使命と考えるようになりました。人形は木質(桐塑)で、表面を天然の膠や岩絵の具などで仕上げているため、300年以上の耐用性を持ちます。ふるさとの四季を模した精巧なジオラマの中に配置される表情豊かな人間群像。きっと子どもの頃の自分と出逢えることでしょう。』
「昭和のこどもたち」の作品は小さいもので30センチ、大きなものでも50センチぐらいの大きさである。ステンレス製の芯に桐の粉と膠で作った素材で型取りをして天具帖 と岩絵の具で着色して仕上げる。虫の付きにくい性質のある桐や天然素材を材質に用いている。どれも日本の風土に合った材料が選ばれている。
作品は舞台を思わせる地続き状の大きな展示台上に立っている。会場は展示と通路とに区画されロータリー状の通路をひと廻りすると日本の四季を辿ったことになる。見る人はその中を歩きながら、それぞれの人形が繰り広げるドラマに対面する。団塊の世代より上の方にとっては懐かしく、少年時代が蘇るのかもしれない。第二次ベビーブーム世代の筆者は、どちらかというと本展を客観的に見ていて、ほんの半世紀余りで私達の身の周りがこれほどまで変わってしまったのだという隔世の念を抱くのであった。まさに冒頭の一行の心境である。
展示作品に《とっくみあい》という題の作品がある。男の子と女の子の喧嘩の様子を象ったものだが、周りの子どもたちは、片手をあげ加勢する子、囃したてる子、不安がって見る子など、それぞれの個性が際立って表現される。歯をむき出しにして果敢に立ち向かう女の子がこの作品の大きな見どころになっていると思うのだが、この子は私です、と石井さんは語った。
また《なかよし》という題する作品をみると「さっちゃんといっしょに過ごした小さい頃の思い出を今も時折取り出して生きる力にしています」と石井さんのコメントが添えられる。すべての作品がそうではないだろうが、自らの体験を発端にした作品もあるのだろう。「昭和のこどもたち」に登場する子どもたちは都会っ子ではなく田舎の子どもたちで構成されている。それが山里の四季の背景画に良くマッチしていて、見る者の郷愁を誘う。人形はもちろん衣服や細かい装飾も石井さんが手がけている。
さてここまで来て、皆さんは出品作家の石井さんはどのような方とご想像なさるだろうか。今年62歳になる石井さんは今も休まず人形制作に励んでいる。東日本大震災を受けてからは東北復興支援として「海の人」シリーズに取り組まれている。家庭人としてお子さんを育て上げ、自らの仕事には妥協を許さず、ポジティブ精神あふれる方である。
今回のトークに際して石井さんは「富山の人が私の作品から何を感じているかを知りたい」とのこと。ものづくりの視点からさまざまな社会事象にも関心を寄せる石井さんに、客席の皆さんの質問も交えつつ、いろんなお話を伺いたいと思います。
出品作家の石井さんと鑑賞者が交流する場としてのアーティスト・トークに、どうぞご期待ください。         砺波市美術館 末永忠宏