ホーム > デジタル展覧会・電子紀要 > 小竹貝塚に埋葬された縄文犬を探る

小竹貝塚に埋葬された縄文犬を探る

高柳由紀子(富山県埋蔵文化財センター)

はじめに

 小竹貝塚は富山市呉羽町に所在する遺跡で、あいの風とやま鉄道呉羽駅北東に広がる縄文時代前期の遺跡である。

図1 小竹貝塚位置図

井戸の掘削時にヤマトシジミがみつかるなど、古くから存在が知られ、遺跡の名前は1958(昭和33)年に発表された論文(1958高瀬)に初めて掲載されている。
 2009・2010(平成21・22)年度に実施された北陸新幹線建設に伴う発掘調査では、ヤマトシジミの貝層から縄文時代前期の埋葬人骨では国内最多の91体が出土し、大きな話題となった。貝層からはほかに、当時の技術の高さを知ることができる、精巧に作られた土器、木製品、石製品、動物の骨や牙、角で作られた骨角歯牙製品、漆を使用した製品など、多くの貴重な遺物が出土した。このほか脊椎動物の骨が約55000点出土した。種類は魚類、両生爬虫類、鳥類、陸棲、海棲の哺乳類などがあり、食料の残滓以外に、加工した骨を道具として利用した例もみられる。また遺跡は、低地に生産加工域や墓域・廃棄域、高地に住居域などを併せ持つ集落であることが判明した。これらの遺構・遺物の主要なものは富山県埋蔵文化財センターで常設展「小竹貝塚展」として展示している。
 埋葬人骨は約2mの厚さに堆積した貝層の一部にまとまってみつかっており、墓域を形成している。その他には犬骨だけが人と同じ墓域の中で埋葬されてみつかっており、人とのつながりの深さを感じることができる。小竹貝塚の人々の暮らしを考える上で欠くことのできない犬を新たに展示に加えるため、このたび研究を行った。

1.小竹貝塚の埋葬犬からみた人との関わり

 犬は最古の家畜として知られ、現代でも人と関わりが深い動物である。日本で最古の犬と考えられているものは、縄文時代早期中葉とされる神奈川県夏島貝塚から出土した犬骨(右下顎骨破片)である。埋葬した最古の例では年代測定で縄文時代早期末から前期初頭とされた愛媛県上黒岩岩陰遺跡で見つかった2体の犬骨がある。これまでの先学の成果では縄文時代の犬は小型犬が主体で食用ではなく狩猟犬として飼われていること、犬の埋葬は早期から行われ、晩期の遺跡で埋葬犬が多く見つかっていることがわかっている。(注1)
 縄文人の暮らしは狩猟・漁撈・採集が中心と一般に言われている。小竹貝塚の人々は集落の前にひろがる潟湖(旧放生津潟)や河川、更に進んで富山湾で魚や貝を獲り、近くの平地や呉羽丘陵、時々は遠方に向かい動物や植物を獲る生活を営んでいたと考えられる(図2)。

図2 縄文時代前期の射水平野

 骨の炭素・窒素安定同位体比分析によれば、人骨では陸上生態系と海洋生態系を組み合わせた生業活動が行われていたこと(注2)、犬骨では人と重なる部分もあるが人よりも海産物を多く摂取していたことが分かっており、人と犬の間での食べ分けも指摘されている。(注3)

(1)小竹貝塚埋葬犬の年代
 人骨が埋葬される貝層の年代は、出土品の放射性炭素年代測定結果からおおよそ紀元前4000年(約6000年前)を中心に約300年間前後の年代幅があるとされている。土器の年代では縄文時代前期後葉にあたる。貝層は2〜5層に分層され、層間には細破砕貝の入る薄い灰層が形成され、貝層内には人骨が少なくとも4時期に分かれて埋葬されている。なお、2体の埋葬犬は貝層形成以前に埋葬されている。
 この4時期の分類に則れば、調査範囲内では、
 Ⅰ期:埋葬人骨13体、埋葬犬1体
 Ⅱ期:埋葬人骨11体、土器棺1基、埋葬犬3体
 Ⅲ期:埋葬人骨26体、土器棺3基、埋葬犬6体
 Ⅳ期:埋葬人骨22体、埋葬犬4体
の埋葬が行われ、人と犬との各時期の割合が確認できる。Ⅰ期は1体のみでわからないが、それ以外では各時期犬1体に対して人が4〜6人の割合で、現代に置き換えると、1家族に1頭の感覚かも知れない。一般社団法人ペットフード協会の2019年10月の調査では国内飼育の犬の平均寿命は14.44歳である。縄文時代では生活環境を考えるともっと寿命は短かったと考える。見つかった埋葬犬数では300年は到底カバーしきれず、犬のいない時期も当然あっただろう。

(2)埋葬犬の出土状況からわかること
 人骨は貝層内で72体分を確認し、仰臥屈葬・側臥屈葬・仰臥伸展葬・抱石葬の埋葬方法がわかるものがある一方、埋葬時の形態が不明となっているものが35体ある。約300年間にわたり貝層内に埋葬を行い、二次的な攪乱を受けて散乱していったものもあるだろう。犬骨でも人骨と同様な事が起こっており、埋葬犬としては16体確認したが、全体にまとまりはみられるが全身骨格全て揃っているものはない。四肢を折り曲げた状況がいくつか確認できるが、部位がいくつか欠けているため意図的な埋葬形態かどうかは不明である。

写真1 10号犬骨
写真2 13号犬骨


 図3・4で人骨と近接して出土した埋葬犬を見ていくと、38号人骨の脚部上に11・12・14号犬骨が埋葬されている。38号人骨は中年(30〜49歳)男性である。
 そのほか、埋葬犬としては確認していないが、33、36、41、47、51号の各人骨は犬骨を少しでも伴っている。これらの人骨はいずれも可能性があるものも含めると成人の男性である。山田2008によると縄文時代の東日本の犬の出土例から当時の社会においては男性と犬が深い関係にあるとしている。著書の中で生業活動および労働種別における男女の性別分業を図示し、男性が主体でかつ犬が大きな役割を果たしうるのは狩猟だとし、男性に近接して犬が埋葬された理由であるとしている。小竹貝塚の犬骨の観察からは狩猟との関連性を有する個体はほとんど認められなかった(注2)が、犬の咬み跡の残る動物骨(ニホンジカ、イノシシ、クマ、クジラ目)が見つかっており(注3)、体に負担の少ない狩猟やその後の残滓を通して人との結びつきを深めたのであろう。犬骨はニホンジカ骨のように人によって解体されカットマークを残すことや(写真3)、骨角器(写真4)の素材としても利用されているものはない点からも、犬は他の動物よりは重要であったことが推測される。

写真3 ニホンジカ解体痕
写真4 骨角器
表1 埋葬犬一覧
図3 墓域内出土状況1
図4 墓域内出土状況2

2.埋葬犬(13号犬)の復元

(1)骨格復元
 今回、発掘調査後の整理作業時に動物骨の同定を担当した奈良文化財研究所環境考古学研究室に協力を依頼し、最も多くの部位が揃っている13号犬の骨格復元を行った。復元作業で使用する骨格標本は運搬が容易ではなく、数多くの標本を所蔵する奈良文化財研究所での作業とし、作業終了後に奈良文化財研究所で並べ方と展示方法の指導を受け、富山へ持ち帰って再度復元した。

写真5 奈良文化財研究所作業風景
写真6 富山県埋蔵文化財センター作業風景

(2)参考模型の製作
 来館者に当時の犬の大きさのイメージが伝わるように、13号犬の骨の計測値(表2)を基に模型を製作した。体高(地上から肩までの高さ)は計算式(注6、注7)を用い算出した。計算結果(表3)から、平均値を38.66㎝とした。体長は現在の日本犬(体高:体長=100:110)(注8)を参考にした。
 頭部は下顎骨を基に斎藤1963を参考にした。
 四肢骨は出土した骨の大きさの通り復元した。欠損した骨の最大長は計算式(注9)から推定し、計測点が残存しなかった大腿骨は同じくメス?で各部位の数値が近似する4号犬のものを用い( )で表示した(注10)。数値は表4に掲載した。
 縄文犬は原生の犬の中では柴犬が近い大きさと言われており(注11)、柴犬の標準サイズの体高(オス38〜41㎝の間、メス35〜38㎝の間(注12))は表1の推定体高とほぼ合致する。毛色や尾の形状は柴犬を参考にした。色は柴犬の80%を占める赤毛(茶色)を参考にした。毛色や尾(巻尾・差尾)の復元にはDNA分析が必要であるので、今後研究が進めばより詳細な復元が可能だろう。この模型は小竹貝塚の縄文犬の大きさを知って頂くためのものであり、科学的手法に基づいていないため、「参考模型」とした。
 材料:発泡スチロール板90×90×4㎝、接着剤、茶色片面ボアの布地、白色アクリルワタ、黒色フェルト、黒色樹脂粘土、針金
 工程:13号犬の骨の大きさを基に作成した型紙に合わせて、発泡スチロール板を専用カッターで切断した。接着剤で片面ボアの布地を貼り付け、必要な箇所にはアクリルワタを固めて整形し接着剤で貼り付けた。目と鼻はフェルト、爪は樹脂粘土と針金を使用した。

写真7 模型材料
写真8 模型途中経過

(3)13号犬骨展示台の製作
 骨格復元すると意外と同定できている部位が少ないことがわかった。胸椎、腰椎、尾椎と肋骨等が不足し、位置関係がわかりづらい。来館者が部位をイメージしやすいように犬の形を表示した台を作成した。なおこの台は骨を見やすい方向、骨が安定する置き方にして並べた際の形であり、骨の大きさに則って製作した参考模型とは大きさ・形が異なる。

写真9 13号犬骨骨格復元状況
写真10 13号犬骨格展示台設置状況

おわりに

 小竹貝塚の埋葬犬の研究は始まったばかりである。今後更なる科学的検証や考古学的検証を総合的に研究することにより縄文犬の実態像がより鮮明になるとともに、犬と生活をした縄文時代の生活像の解明が期待できる。今後さらに研究を進め、平成29年度から始まったMAIBUN小竹貝塚プロジェクトを通して様々な情報発信を予定している。

写真11 13号犬参考模型
表2 13号犬骨計測一覧
表3 13号犬推定体高
表4 13号犬骨推定長

注1 西本豊弘1983「3.狩猟 イヌ」『縄文文化の研究2生業』雄山閣
注2 米田穣2014「第Ⅴ章自然科学分析4炭素・窒素安定同位体比分析」『小竹貝塚発掘調査報告』(公財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
注3 令和元年7月7日に富山県埋蔵文化財センターで開催された県民考古学講座 金沢大学 覚張隆史特任助教「縄文時代の北陸地方における人とイヌの関係」による。
注4 山崎健・丸山真史・菊池大樹2014「第Ⅴ章自然科学分析18脊椎動物遺存体」『小竹貝塚発掘調査報告』(公財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
注5 注4と同じ
注6 山内忠平1958「犬における骨長より体高の推定法」『鹿児島大学農学部学術報告』7巻
注7 西中川駿・福島晶・谷山敦・池田省吾・土岐学司・小山田和央・松元光春2008「イヌの骨計測値から骨長ならびに体高の推定法」『動物考古学』第25号 動物考古学研究会
注8 公益社団法人日本犬保存会HP:https://www.nihonken-hozonkai.or.jp
注9 注7と同じ
注10 数値の詳細は(公財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所2014『小竹貝塚発掘調査報告』附属CD-ROMに掲載してある。
注11 注1と同じ
注12 注8と同じ

引用・参考文献

かみつけの里博物館2002『犬の考古学』
五味靖嘉2013「犬の頭蓋・四肢骨計測について」『動物考古学』第30号 動物考古学研究会
斎藤弘吉1963『犬科動物骨格計測法』
茂原信生1986『東京大学総合資料館所蔵長谷部言人博士収集犬科動物資料カタログ』東京大学総合研究資料館標本資料報告第13号
高瀬保1958「呉羽町小竹の貝塚について」『越中史壇』14 越中史壇会
公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所2014『小竹貝塚発掘調査報告』
西中川駿・福島晶・谷山敦・池田省吾・土岐学司・小山田和央・松元光春2008「イヌの骨計測値から骨長ならびに体高の推定法」『動物考古学』第25号 動物考古学研究会
西本豊弘1983「3.狩猟 イヌ」『縄文文化の研究2生業』雄山閣
公益社団法人日本犬保存会HP:https://www.nihonken-hozonkai.or.jp
一般社団法人ペットフード協会HP:https://petfood.or.jp
山内忠平1958「犬における骨長より体高の推定法」『鹿児島大学農学部学術報告』7巻
山崎健・丸山真史・菊池大樹2014「第Ⅴ章自然科学分析18脊椎動物遺存体」『小竹貝塚発掘調査報告』(公財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
山田康弘2008「縄文時代のイヌ」『生と死の考古学 縄文時代の死生観』東洋書店
米田穣2014「第Ⅴ章自然科学分析4炭素・窒素安定同位体比分析」『小竹貝塚発掘調査報告』(公財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所