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後立山連峰餓鬼ノ田圃の水生昆虫を主とした昆虫相の解明

岩田朋文(富山市科学博物館)

1.はじめに

 後立山連峰の餓鬼ノ田圃(標高約1,630m)は黒部川流域の険しい山岳地帯に存在する孤立した湿地帯であり、周囲には深い森が広がっている。同地は富山県黒部市宇奈月町にある黒部峡谷トロッコ電車の終着駅欅平から距離約5km、標高差約1,030mの登山を経ないと到達できない秘境のため(図1)、訪問者はほとんどおらず、原生の自然が保存されていると推測される。加えて、山岳地帯にある孤立した湿地帯という特殊環境から、固有種や分布上注目される種が生息する可能性もある。しかし、生物相に関する調査は、同地へのアクセス性の悪さによりこれまでほとんど実施されてこなかった。そこで本研究では、餓鬼ノ田圃の水生昆虫を主とした昆虫相の解明を目的に現地採集調査を行った。加えて、昆虫以外でも餓鬼ノ田圃の自然環境に関する基礎情報の収集を行ったので、その結果を報告する。

図1 餓鬼ノ田圃の位置

2.調査方法

2-1.調査方法

 黒部峡谷トロッコ電車の終着駅欅平から後立山連峰餓鬼ノ田圃を経て、餓鬼山避難小屋に至る登山道沿いにおいて、捕虫網を用いて植物葉上や木本の幹表面、朽木表面、および石の下などに見られる昆虫類を採集した(図2)。餓鬼ノ田圃では湿地に立ち入り、胴長を着用してタモ網により水生昆虫の採集を行った(図3)。餓鬼山避難小屋前ではテント式ライトトラップ1基(光源:携帯ランタン1つ)を設営し、飛来した昆虫を採集した(図4)。そのほか、池塘水温測定、脊椎動物痕跡記録、自然景観写真撮影、池塘環境の記録なども行った。
 得られた資料は毒ビンや液浸標本用ねじ口瓶に入れて持ち帰り、乾燥標本もしくは液浸標本として主に富山市科学博物館に保存している。一部の資料は各分類群の専門家に提供し、DNA解析や解剖などを経て大学等で保管されている。
 なお本調査地は中部山岳国立公園の特別保護地区が含まれるため、昆虫類の採集にあたっては環境省の採集許可(環中中国許第1807172号)を取得した。

図2 捕虫網による陸生昆虫採集

図3 タモ網による水生昆虫採集

図4 餓鬼山避難小屋前でのライトトラップ

2-2.調査日程とルート

 調査は2018年7月29日(日)〜7月31日(火)に実施した。調査地までは富山駅から欅平まで鉄道を乗り継ぎ、欅平から餓鬼ノ田圃まで徒歩(登山)でアクセスした(図5)。本調査は研究代表者の岩田(調査代表、水生昆虫担当)の他、吉岡 翼(富山市科学博物館;自然環境記録担当)、惣名 実(越中むしの会会員;陸生昆虫担当)、澤田研太(富山県生物学会会員;ライトトラップ担当)の4名で行った。

・7月29日(晴れ)
 富山駅~宇奈月駅~欅平~餓鬼ノ田圃~餓鬼山避難小屋(泊)
・7月30日(晴れ)
 餓鬼山避難小屋~餓鬼ノ田圃~祖母谷温泉(泊)
・7月31日(晴れ)
 祖母谷温泉~欅平~宇奈月駅~富山駅

図5 欅平から餓鬼ノ田圃を経て餓鬼山避難小屋までのルート
(国土地理院発行の2万5千分1地形図「欅平」を使用)

3.結果と考察

3-1.昆虫相概略

 約340種の昆虫を採集した。注目種として、メススジゲンゴロウAcilius japonicus Brinck, 1939、カオジロトンボLeucorrhinia dubia orientalis Selrs ,1887、オオゴマシジミMaculinea arionides (Staudinger, 1887)、オオトラカミキリXylotrechus villioni (Villard, 1892)が挙げられる。この4種については詳細を次項目に記した。
 主目的である水生昆虫類では、マメゲンゴロウAgabus japonicas Sharp, 1873、キベリヒラタガムシEnochrus japonicas (Sharp, 1873)、ツノヒゲゴミムシLoricera pilicornis (Fabricius, 1775)、エゾコセアカアメンボGerris yezoensis Miyamoto, 1958、アミメトビケラの一種Oligotricha sp.、タカネトンボSomatochlora uchidai (Forster, 1909)、ミズギワカメムシ科の一種(幼虫)、スゲハムシPlateumaris sericea (Linnaeus, 1761) などがみられた。
 陸生昆虫では、主に山地帯から亜高山帯の森林環境に生息する種がみられた。幼虫が朽木を食べるミヤマクワガタLucanus maculifemoratus Motschulsky, 1861やアカアシクワガタDorcus rubrofemoratus Vollenhoven, 1865、植物の葉を食べるハバチの一種、ミズキなどの各種花に集まるフタコブルリハナカミキリStenocorus caeruleipennis Bates, 1873、動物の糞を食べるミヤマダイコクコガネCopris pecuarius Lewis, 1884、小昆虫を捕食するマガタマハンミョウCylindera ovipennis (Bates, 1883)やヒメカマキリモドキMantispa japonica MacLachlan, 1875などがみられた。

3-2.注目昆虫

a.メススジゲンゴロウAcilius japonicus Brinck, 1939(図6)
 [富山(2012):絶滅危惧II類、環境省(2019)選定なし]
 本種は北海道から本州中部まで分布し、本州においては山地から高地の池沼に生息する(森・北山,1993)。富山県は本種の分布西限地であり、県内の生息地は数ヶ所が記録されているに過ぎない(富山県,2012)。『レッドデータブックとやま2012』(富山県,2012)には餓鬼ノ田圃にも生息する旨の記述がみられるが、出典が明記されておらず、かつ、文献調査でも具体的なデータを伴う記録は見つからなかった。
 今回の現地調査により、餓鬼ノ田圃では調査した池すべてで成虫が確認でき、同地における生息個体数は豊富であった。加えて、いくつかの池では幼虫も発見され、餓鬼ノ田圃は本種の発生地であることも分かった。

b.カオジロトンボLeucorrhinia dubia orientalis Selrs, 1887(図7)
 [富山県(2012)、環境省(2019)ともに選定なし]
 本種は北海道から本州中部まで分布し、高原の池塘などの開放的な環境を好む(尾園ほか,2013)。福井・石川県境が分布西限地であり、西限に近い富山県では山岳地帯に属する9ヶ所から記録されているのみである(二橋ほか,2004)。餓鬼ノ田圃では2001年の確認記録が二橋ほか(2004)に掲載されているが、その後の記録は無かった。
 本調査では餓鬼ノ田圃内の当たりが良い池や湿原内の池塘において多数個体が観察され、2001年以降も継続して生息していることが確認された。ただし、林内のくぼ地に水が溜まっただけの日当たりの悪い池では本種がみられない傾向にあり、どの池でも採集されたメススジゲンゴロウとは異なる環境選好性を示すようである。

図6 メススジゲンゴロウ♂,同♀

図7 カオジロトンボ

c.オオゴマシジミMaculinea arionides (Staudinger, 1887)(図8)
 [富山県(2012):絶滅危惧II類、環境省(2019):準絶滅危惧]
 本種は北海道から本州中部まで分布し、本州中部では標高1,200 m以上の高標高地帯に生息する。生息環境は森林帯の渓畔などの湿潤な環境で、幼虫がカメバヒキオコシなどのシソ科植物とシワクシケアリを食するため、生息には両者の存在が必須である(白水,2006)。富山・岐阜県境が国内分布西限地の種である(白水,2006;水野ほか,1998)。富山県においては古くから黒部川流域で生息が確認されているが(水野ほか,1999)、近年の記録はあまりなかった。
 調査では、標高1,300 m付近のブナを主とした落葉広葉樹林帯において、渓流沿いのやや開けた草地にて確認した。飛翔している成虫を複数確認し、1頭のみ採集した。

d.オオトラカミキリXylotrechus villioni (Villard, 1892)(図9)
 [富山県(2012)、環境省(2019)ともに選定なし]
 本種は北海道から九州まで分布し、全国的に生息密度が低い種である(大林・新里,2007)。幼虫はモミやトドマツやなどの針葉樹の生幹を食べる(大林・新里,2007)。富山県では有峰周辺で4例が記録されているに過ぎなかった(北村ほか,2016)。
 本調査で採集した個体は、亜高山性の天然針葉樹林帯を通る登山道沿いにおいて、コメツガの巨木から採集した。幹を這う個体1頭のみが確認され、その後しばらく追加個体を求めたが発見には至らなかったことから、同地においても生息密度は低いと思われる。黒部川流域からは初記録であると思われる。

図8 オオゴマシジミ

図9 オオトラカミキリ

3-3.その他の自然環境情報

 餓鬼ノ田圃では水深が低い湿地、平坦地の湿原内に形成された池塘、くぼ地に水が溜まった池など、多様な止水域があることが分かった(図10–13)。各止水域によって日当たりなどの条件が若干異なるようで、カオジロトンボなどのように生息する昆虫にも差異が見られた。こうした微環境の多様性が高い点が、生息する昆虫の多様性の高さにも寄与していると思われる。
 また、湿地周辺はブナなどの落葉広葉樹林からコメツガなどの針葉樹林が広がり、巨木も随所に確認された(図14–16)。富山県内ではスギの植林が各地で行われていたが、餓鬼ノ田圃周辺は天然林が残存しているものと思われる。加えて、林床には下草が繁茂しており、近隣県で相次いでいるシカ増加による下草の消失が2018年時点では発生していないことも確認できた(図17)。

図10 餓鬼ノ田圃平坦地の湿地

図11 林内の湿地

図12 平坦地の湿地にできた池塘

図13 くぼ地に水が溜まった池

図14 ブナを主とした落葉広葉樹林

図15 コメツガなどの針葉樹林

図16 巨木の立ち枯れ

図17 林床に繁茂する下草

5.謝辞

 環境省および富山県自然保護課には中部山岳国立公園特別保護地区における昆虫類の採集許可申請においてお世話になった。富山森林管理署には国有林入林届の提出でお世話になった。さらに、祖母谷温泉と餓鬼山避難小屋管理人の皆さまには林道・避難小屋の管理でご配慮いただいた。ここに記してお礼申し上げる.

6.引用文献

二橋 亮・二橋弘之・荒木克昌・根来 尚(2004)富山市科学文化センター収蔵資料目録第17号 富山県のトンボ,220pp.富山市科学文化センター,富山.
環境省(2019)別添資料2_環境省レッドリスト2019.
 https://www.env.go.jp/press/files/jp/110615.pdf(2019年3月23日参照).
北村征三郎・中居昭信・野村孝昭(2016)富山県の昆虫シリーズ第1号,92pp.富山県昆虫同好会,黒部.
水野 透・大野 豊・澤田昭芳・根来 尚(1998)富山市科学文化センター収蔵資料目録第11号 富山県の蝶(I),113pp.富山市科学文化センター,富山.
水野 透・大野 豊・澤田昭芳・根来 尚(1999)富山市科学文化センター収蔵資料目録第12号 富山県の蝶(II),240pp.富山市科学文化センター,富山.
森 正人・北山 昭(1993)図説日本のゲンゴロウ,217pp.文一総合出版,東京
大林延夫・新里達也(共編)(2007)日本産カミキリムシ,818pp.東海大学出版会,秦野.
尾園 暁・川島逸郎・二橋 亮(2013)ネイチャーガイド 日本のトンボ(第二版),531pp.文一総合出版,東京.
白水 隆(2006)日本産鳥類標準図鑑,336pp.株式会社学研教育出版,東京.
富山県,2012.富山県の絶滅のおそれのある野生生物―レッドデータブックとやま2012―,451pp. 富山県.
山口英夫・惣名 実・湯浅純孝(1995)第3章富山県の水生昆虫.富山県水生昆虫研究会(編)富山県の水生生物,pp. 71–148.富山県生活環境部自然保護課.

7.成果報告

7-1.富山市科学博物館・ロビー展(図18)

期 間:2019年3月9日(土)~4月7日(日)
場 所:富山市科学博物館2階ロビー
展示名:ロビー展「後立山連峰餓鬼ノ田圃の昆虫」
概 要:調査結果の概要を一般の方々に紹介する目的の展示を行った。パネル7枚、調査で採集した昆虫標本223点、調査道具5点を展示した。

図18 ロビー展


7-2.富山市科学博物館・科学セミナー(図19)

日 時:2019年1月30日(水)
場 所:富山市科学博物館多目的学習室
参加者:26名
演 題:後立山連峰餓鬼ノ田圃の昆虫調査
概 要:富山市科学博物館関係者及び一般向けに、同館職員の調査研究活動を紹介するセミナーを開催した。スライドを用いて、岩田が発表した。参加者からの質疑応答もさかんにあった。

図19 科学セミナー


7-3.富山市科学博物館・サイエンスライブ(予定)

日 時:2019年4月27日(土)10:45~、13:00~、15:15~(各回約15分間)
場 所:富山市科学博物館2階ロビー
タイトル:サイエンスライブ「解説!餓鬼の田んぼの昆虫」
概 要:富山市科学博物館学芸員が来館者の前で科学の話題を話すミュージアムトークである。調査で採集した昆虫標本を用いて、餓鬼ノ田圃調査の様子を解説する。


7-4.学術論文(印刷中)

論文名:坂井奈緒子・吉岡 翼(2019)富山県黒部市餓鬼ノ田圃に生育するコケ植物と湿原環境.富山市科学博物館研究報告,(43):印刷中.
概 要:今回の昆虫調査に付随して行った自然環境調査で得られたコケ植物を総括したものである。なお、調査に際して環境省の採取許可(環中中国許第1806285号)を取得している。