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博物館への効果的なIPM(Integrated Pest Management)の導入方法について

寺島禎一(富山県[立山博物館])

はじめに

 平成17年1月、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書締約国会議」において、かねてから決定していたように、先進国での臭化メチル製剤の生産・消費が全廃されることとなった。このため、従来、多くの博物館で実施されてきた臭化メチル製剤による燻蒸が、不可能となり、IPMなど燻蒸に頼らない害虫対策の必要性が強調されてきている。
 ここでは、当館でのIPMの導入や、IPM導入先進館での導入事例をふまえつつ、博物館への効果的なIPMの導入方法について述べたい。

IPM(Integrated Pest Management)について

 かつて、農業面では、害虫防除の方法として薬剤が多量に使用され、非常に高い効果を上げていた。しかし、農薬に耐性を持つ害虫の発生などにより、農薬万能主義の防除に翳りが見えはじめ、新たな防除方法が、必要になってきた。IPM(Integrated Pest Management:総合的有害生物管理=農業面では総合的害虫管理)は、昭和40年、国連食糧農業機関(FAO)において農業面での害虫防除の方法として提唱されたもので、「あらゆる適切な防除手段を相互に矛盾しないかたちで使用し、経済的被害を生じるレベル以下に害虫個体群を減少させ、かつその低いレベルに維持するための害虫個体群管理システム」と定義されている。これは、害虫を1匹単位で考えず個体群としてとらえ、その個体群が農作物に被害を与えないレベルに管理するものである。このためIPMの実施にあたっては、
・維持管理基準を設定し、基準以下の個体群は許容する
・個体群の正確な把握のために、防除の事前調査と効果判定を確実にする
・定期的なモニタリングによる発生防止、ならびに発生時の掌握に重点を置く
・薬剤は、適正かつ適量を使用するなどに注意する などがある。
一部には、IPM=“薬剤の不使用”という誤解があるが、必要かつ適切・適量な薬剤の使用についてを否定しているものでは決してない。

博物館でのIPMについて

農作物と異なり、博物館資料は、その性質上僅かな被害も発生させるわけにはいかない。そこで、従来、臭化メチル製剤による定期的な燻蒸が行われてきた。臭化メチル製剤は、極めて優秀な薬剤であり、定期的に燻蒸することで資料の被害を防ぐことができた。反面、その毒性と環境汚染(オゾン層破壊等)の観点から臭化メチル製剤による定期的な燻蒸が実施できなくなり、IPMの導入が必要となっている。
 博物館でのIPMは、基本的には農業面のIPMと同様であり、害虫を殲滅させるのではなく、被害を生じるレベル以下に害虫数を減少させ、そのレベルを維持するためにシステムを構築・運営することである(図1)。ただし、これは、博物館の空間全体をとらえた場合であり、かけがえのない博物館資料についての被害は、僅かといえども容認できるものではない。博物館でのIPMを要約すると、調査・点検を重視し、害虫の発生防止や発生初期の段階で、あらゆる対策(薬剤使用も考慮)を適切に取ることとなる。      

図1 博物館におけるIPMのイメージ
図1 博物館におけるIPMのイメージ
(害虫数の僅少・極少≒0が望ましい)

IPMの導入事例

○立山博物館
 当館では、吉井亮一副主幹が、IPMの基本方針と年間計画を策定し、平成14年度からIPM導入に取り組んだ。平成15年度には、現状の把握に重点を置いて、昆虫相調査(春・秋)2回、周辺環境調査、環境モニタリングを実施した。IPMの導入では、現状の把握と対策、さらにその結果のフィードバックが重要である。平成15年度の結果から、IPMのシステム構築にポイントを置いた平成16年度の計画を立て、この計画に基づいて現在のIPMが実施されている。
昆虫相調査:昆虫相調査は、5月、7月、10月の年3回実施している。この調査は、正確な現状把握を目的とし、ローチトラップ(ゴキブリ捕獲器に類したもの)を通常設置場所(83ヶ所)と展示ケース内(19ヶ所)に、ライトトラップ(誘蛾灯に類したもの)を通常設置場所4ヶ所に設置、およそ一週間後に回収して捕獲昆虫等を検査するものである(写真1)。ローチトラップの通常設置場所の一部は、月例見回り点検で設置する場所でもある。
 IPMにおいては、維持管理基準を明確にする必要があるが、図1にも示したように博物館資料(展示ケース内)の害虫数=0、展示空間でも害虫数が限りなく0に近づくことを基準とした。
 調査後報告を検討し、問題点が生じた場合はその対策を行った。例えば、当館は、周囲に樹木の多い山間部に位置し、博物館資料に直接被害を与えないものの、施設空間の一部に飛翔虫の侵入が多く見受けられた。このため、外観に問題のない箇所で隙間対策を行った(写真2)。このように、IPMにおいては、調査後の報告を検討・対策することが、極めて重要である。

写真1 ローチトラップの設置
写真1 ローチトラップの設置
写真2 隙間対策
写真2 隙間対策

月例見回り点検:月例見回り点検は、毎月1回実施するもので、ローチトラップの回収・交換(25ヶ所)、展示資料の目視点検等を年間12回実施した。ローチトラップ自体は、およそ1ヶ月間恒常的に設置されることになり、害虫の発生現状の把握と捕獲による駆除を兼ねている。特定のローチトラップで、害虫の捕獲が断続的にある場合、害虫の生息場所が特定でき、効果的な駆除が可能である。
 例えば、当館入り口のローチトラップでシミが捕獲され、ピレスロイド系薬剤をピンポイントで撒布し、一定の効果を上げた。しかしその後、再びシミが捕獲されて詳しく調査した結果、トラップ側のコンクリートの隙間がシミの生息場所となっている可能性があり、シール剤で隙間を埋めたところ、シミの発生を押さえることができた。このように、月例見回り点検が、効果的な駆除に結びついている。
 また、博物館は、観覧者の出入りがあるため閉鎖空間にできない、いわば開放系の空間であり、このため、ローチトラップは、外部からの害虫等の侵入阻止の役目も担っている(写真3)。
日常点検:生物被害をより早期に発見することが重要であり、従来実施していた学芸員による毎朝の始業点検(目視点検)に加え、職員(監視員)による点検システム、日常点検を構築した。注意点としては、防除についての知識の異なる職員に対して、過度の負担を掛けることなく、日常的に点検でき、生物被害をより早期に発見できるシステムを考えた。具体的には、食害(穴があいていないか)、虫粉(落ちていないか)、カビの発生(汚れていないか)など、目視される被害の報告に重点を置き、点検シート(図2)を使って点検するものである。

写真3 捕獲されたニホントカゲ
写真3 捕獲されたニホントカゲ
図2 点検シート
図2 点検シート

収蔵庫燻蒸:平成17年から従来の臭化メチル製剤が、使用できなくなったため、酸化エチレン製剤による収蔵庫燻蒸を実施した。これまでは、新旧2つの収蔵庫を同時に燻蒸していたが、最小単位での燻蒸を考え、本年度は、新収蔵庫のみの燻蒸とした。また、新たに保管・収蔵することとなった資料の燻蒸も同時に実施した。
緊急対応:突発的なトラブルや、月1回の見回り点検では見つからなかった問題に対して、緊急対応を行った。写真4は、隣接施設での緊急対応例(ハチの巣除去)である。なお、その名の通り緊急対応は、トラブル発生後数時間以内で対応できるシステムの構築が必要であり、専門業者との連携を密にして事前にトラブル発生時の対応を決めておく必要がある。

写真4 ハチの巣除去
写真4 ハチの巣除去

○IPM導入先進館等
 文化財虫菌害保存対策研修会(主催:文化財虫害研究所)、IPMコロキウム(主催:東京文化財研究所)などへの参加や、他館(滋賀県立安土城考古博物館)の視察から、各館に導入されているIPMの内容を比較した。その結果を以下に記す。
モニタリング:IPMを導入しているほぼ全ての館で、何らかの調査・点検などのモニタリングがなされている。モニタリングの目的としては、維持管理基準設定の資料として、害虫の侵入・移動経路や被害発生予測など、現状の把握と初期被害の発見などがあげられている。また、コンピュータによるモニタリングデータの解析、点検マップの作成や事故報告書の作成など、データの有効活用が図られている。そして、モニタリングの結果から害虫対策方法の開発・選択と実行がなされている。
代替薬剤による防除:従来の臭化メチル製剤による燻蒸から、代替薬剤の酸化エチレンなどによる燻蒸に、さらにはピレスロイド系薬剤の噴霧や含浸シートの使用へと、より人と環境に優しい薬剤に転換したり、撒布など、方法の工夫によって薬剤の限定的な使用が進んでいる。
非薬剤による防除:二酸化炭素処理や低酸素処理、高温・低温の温度処理など、全く薬剤を使用しない防除も行われている。これらの防除は、防除方法についての知識やノウハウ、さらには装置などが必要であり、実験的な要素を持つものが多く、これらの方法の開発を行っている先進館もある。
環境整備(清掃等):害虫が発生しやすい環境を作らないことが大切で、温度や湿度の管理、空間の空気の流れ、清掃等による除塵・除染(アルコールによる拭き掃除を含む)などが行われている。例えば、棚の下にスノコを置いたり、壁面から距離を置いて配置することで、空気の流れを確保して結露を防ぎ、カビや害虫の発生を押さえる工夫がなされている。「害虫を入れない、害虫のエサとなるものを持ち込まない」が徹底され、生花や植物の館内持ち込み規制が行われている。
体制の整備:IPM導入においては、職員のIPMについての理解や啓発、協力が必要であり、委員会を立ち上げるなど体制の整備が行われている。また、ボランティアの活用や防除専門業者との連携など、IPMを支える人的体制の整備に重点を置いている館もある。

IPMの導入のために

 IPMの概念や導入事例などから博物館におけるIPMの導入について考えてきた結果、調査・点検といったモニタリングが、IPMの導入において最も重要であると考えられた。IPMにはマニュアルがなく、個々の問題に対して最善の対策を考えて処方していくため、館によっても、事例によっても全く異なった対応になることはよく言われている。しかし、筆者のように基礎的な知識も経験もない担当者が、IPMの導入を行う場合、モニタリングによる現状の把握が欠かせない。また、それらの結果から、全体計画を立て、害虫の侵入阻止やローチトラップ設置、具体的な害虫駆除など、モニタリングの結果を次の防除計画にフィードバックさせ、常に新しいものにしていくことで、IPMの質の向上へと結びつけることが可能である。
 調査・点検と言っても、何もない単なる目視点検ではつかみ所がなく、返って膨大な空間を散漫に見回すだけとなってしまう。このため、ローチトラップなど具体的にトラップを設置し、捕獲した害虫を実際に目にすることも大切であると思われる。次に問題となるのは、害虫の同定であるが、これについては、書籍等を参考にしたり、先進他館や防除専門業者と連携して害虫についての知識を増やしていく必要がある。

おわりに

 近年の社会情勢から、博物館にIPMを導入せざるを得ない状況となってきた。当館では、平成14年度からIPMの導入に着手し、漸く機能しはじめたところであるが、この機会にIPMを見直したいと考え、本研究を行った。ささやかな実践ではあるが、今後のIPM導入の参考になれば幸いである。また、本研究の実施から、当館のIPMの問題点が、いくつか明らかになってきたように思われる。それらの問題点を解決し、当館のIPMをさらに良いものにしたいと考えている。
 本研究の資金の一部として、富山県博物館協会の美術館・博物館研究補助を利用させていただいた。研究をまとめるにあたり、丸三製薬株式会社吉枝卓郎氏には、多くの助言をいただいた。富山市科学文化センター赤羽久忠博士には、草稿を読んでいただいた。さらに、東京文化財研究所木川りか主任研究官、滋賀県立安土城考古博物館高木叙子学芸課主任には、IPMコロキウムへの参加や館の視察にご配慮いただいた。心よりお礼申しあげたい。

参考文献

文化庁文化財部(2001)文化財の生物被害防止に関する日常管理の手引き.36pp,文化庁文化財部 
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所(三浦定俊・木川りか・佐野千絵・山野勝次)編(2001)文化財害虫辞典.232pp,クバプロ,東京
木川りか・長屋菜津子・園田直子・日高真吾・Tom Strang(2003)博物館・美術館・図書館等におけるIPM.文化財保存修復学会誌,No.47,76-102
木川りか(2004)総合的害虫管理 IPMという考え方.民博通信,No.107,4-6
増田久美・日高真吾(2004)薬剤を使用しない殺虫処理.民博通信,No.107,12-13
森田恒之(2004)みんぱくでの虫害管理20年.民博通信,No.107,8-10
園田直子(2004)博物館と虫害管理.民博通信,No.107,2-3
園田直子(2004)コンピュータを用いた生息調査結果の分析.民博通信,No.107,14-15
高木叙子(2004)安土城考古博物館におけるIPM-自館診断の5ヶ年-.滋賀県立安土城考古博物館紀要,No.12,38-56
高木叙子(2004)博物館におけるIPM実践の一事例-滋賀県立安土城考古博物館の場合-.文化財の虫菌害,No.48,15-24
寺島禎一(2005)立山博物館におけるIPMの導入について.博物館研究,Vol.40,No.11,5-7

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