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氷見市内主要城郭の視覚化~同一縮尺の模型製作を通して~

大野究(氷見市立博物館)

はじめに

 氷見市には伝承地を含めて60カ所近くの山城が確認されている。
 氷見市教育委員会では、このうち阿尾城跡(県指定史跡)、森寺城跡(市指定史跡)、飯久保城跡、千久里城跡、中村城跡の五つについて、測量調査や試掘調査を実施してきた。
 これらの山城は、氷見を代表する山城であり、残された遺構を観察すると、在地領主の素朴な縄張りを示すもの、上杉氏や織田氏といった外部からの影響を受けた縄張りがあるものなどがあり、氷見の戦国史をたどる上で貴重な情報を得ることができる。山城は地域史を理解する上での活きた教材であるといえよう。
 これらの調査成果を少しでも市民に還元するため、博物館の展示に組み込みたいと考えていたが、山城の特徴を一般の方に理解してもらうためには、二次元の図面だけでは難しく、また実際に現地をくまなく歩き回るのもなかなか困難なことである。
 そこで、測量の成果を元に、立体模型を製作すれば理解の助けになるのではないかと考えた。また、五つの山城の縮尺を統一しておけば、山城同士の比較もしやすいであろう。
 このような目的で山城模型の製作を行った。

ベースにした測量図
模型制作風景

1. 山城の概要

a 阿尾城跡
 阿尾城跡は、氷見市阿尾地区の通称城山と呼ばれる独立丘陵に築かれ、南側と東側が断崖となって富山湾に面している。
 その独特な景観から多くの人びとに親しまれて、県指定史跡になっている。
 城跡には本丸・二の丸・三の丸と伝えられる場所があるが、後世の耕作などにより明確な遺構は確認されていない。ただし、発掘調査では伝二の丸から15世紀後半から16世紀末頃の遺物が多く出土している。
 また、地籍図や地名の調査から、城の北側には城下町が形成されていたと考えられ、ここは山岳修験の場として著名な石動山へ登る大窪道と、荒山峠を越えて能登へ向かう荒山街道の起点になっていた。富山湾の海上交通を掌握する城の立地と合わせて、阿尾は交通の要衝であったといえる。
 城下町の一角にあたる阿尾島尾A遺跡からは、発掘調査により直角に曲がる大溝が確認され、城と同時期の遺物が出土している。
 阿尾川下流一帯は八代保と呼ばれる中世の荘園であり、15世紀中頃城を築き城下町を形成したのは、そこを本拠とした八代(屋代)氏と考えられる。八代氏は戦国期に能登七尾城へと進出するが、畠山家臣団の分裂に連座して衰退した。その後九州出身とされる菊池氏が阿尾に定着し、上杉氏・佐々氏・前田氏に相次いで従ったが、慶長初めに当主が没したため、子孫は金沢に移り、阿尾城は廃城になったと考えられる。

阿尾城跡模型

b 森寺城跡
 中世の史料には「湯山」として登場する山城であり、阿尾から能登へ向かう荒山街道沿いの丘陵尾根に築かれている。城の範囲は南北1.1km、東西0.4kmに及ぶ市内最大規模の山城であり、氷見市指定史跡になっている。
 城はゴテンヤマと呼ばれる中心部をはじめ、金戸山、野崎屋敷、サイダ屋敷、寺坂屋敷などと呼ばれる独立性の強い郭が配置され、さらに城内を南北に通り抜ける街道沿いには、本町と呼ばれる平坦地がある。
 16世紀初め頃、七尾城主能登畠山氏によって築かれたと推定され、その後畠山家臣団内紛時には、反七尾城勢の拠点として利用された。さらに上杉謙信の攻撃目標のひとつとなり、天正初めには、謙信の家臣が配置された。謙信没後は、織田方の神保氏張らによって上杉方が追い払われ、佐々成政の支城になり、石垣などの遺構が築かれた。
 発掘調査では、本丸土塁に沿った空堀が確認され、二の丸へ続く大手道では、石垣と側溝、石敷を組み合わせた幅3.2mの通路が検出された。また、この登り口では人為的に石垣が崩されているのが確認され、廃城に伴って「城わり」が行われたと考えられる。

森寺城跡模型

c 飯久保城跡
 飯久保城跡は、氷見市南部の飯久保・神代地区の丘陵に所在する。この辺りは南条保と呼ばれた地域であり、前面は布勢水海を介した水運で氷見湊と結ばれ、背後の丘陵を越えれば、射水・砺波地域とも結ばれている。
 城跡は南北300m、東西200mの範囲に及び、郭・堀切・土塁・竪堀・切岸などの遺構が認められる。
 城主とされる狩野氏は、永禄年間には人質を出して神保長職に属していたが、その後上杉謙信に従い、謙信没後は織田方へと転じている。
 土塁と竪堀によって構成された虎口空間は、前田利家によって改修された七尾城本丸の出入口と共通する要素がみられ、織田方に転じた段階で飯久保城の出入口が改修されたと考えられる。
 また、主郭背後に壁のようにそびえる土塁は、長さ60m、高さ5m以上におよんでいる。土塁の東端は櫓状になっており、ここからは氷見湊や富山湾が遠望できる。
 主郭の発掘調査では、16世紀後半の遺物が出土している。

飯久保城跡模型

d 千久里城跡
 氷見市中央部、上庄川右岸の中尾・泉・上田地区の丘陵に築かれた山城である。標高137mの最高地点は、周囲の稜線からひときわ高くなっており、「竹里山」の名称で呼ばれ、江戸時代には定置網敷設の目印になっていた。
 また、城との関連は不明であるが、竹里山の中腹には岩屋があり、内部には中世の石造不動明王が安置されている。
 千久里城は南北朝の史料に名前がみえるが、現状の遺構は南北240m、東西280mの範囲に及び、戦国期のものと考えられる。
 戦国期の城主と考えられるのは、城跡から東に約2kmの鞍川地区を本拠とした国人鞍河氏と考えられる。鞍河氏は越中のみならず、能登や京都でも活躍した国人であるが、16世紀中頃に滅亡した。
 城跡の主要部分は、見張り台として利用された最高所の小規模な平坦面と、その北東に土塁と堀切によって区切られて連続する三つの郭部分から成っている。
 堀切の発掘調査では、C郭への出入りが容易になるように改修されていることが確認され、厳重に防御されているB郭との間で、空間に使い分けがあったのではないかと推定されている。

千久里城跡模型

e 中村城跡
 上庄川が北向きから東向きに流路を変える地点の丘陵上に所在しており、上庄谷の上流から下流、さらには富山湾まで見通すことができる立地である。また、越中と能登を結ぶ臼ヶ峰往来を見下ろす場所でもある。
 越中では類例の少ない竪堀を多く用いた縄張りが特徴である。
 天正の初め頃、上杉謙信家臣の長尾左馬助が居城したと伝えられ、竪堀を多用する縄張りは、上杉氏に特有のものとされる。
 中村城の主郭からは池田城を遠望することができる。池田城主小浦氏は当時、上杉謙信に子供を人質に出して従っており、中村城の立地は池田城を監視しつつ、能登との街道を掌握するため連携を図ったものと考えられる。
 主郭の発掘調査では、建物の柱跡や貯蔵穴と推定される穴、16世紀後半の遺物が出土している。

中村城跡模型

2. 模型製作工程

 各山城の模型製作にあたっては、市教育委員会が実施した測量成果、1/500(等高線間隔1m)の平面図を用いた。
 厚さ2mm(1mの1/500)のスチレンボードを、1m間隔の等高線ごとにカッターで切り抜き、強力糊で貼り合わせて積み上げていく。このとき、スチレンボードが曲がらないよう重しをかけておいた。この作業を繰り返し、山城のおおまかな地形ベースを製作した。
 次いで、地形ベースの等高線間の段差を埋めるようにして紙粘土をかぶせて、山城の形を整えた。紙粘土は乾燥するとひび割れが入るので、水分を少量ずつ与えながら数回にわたって調整が必要であった。また、粘土がはがれないようにスチレンボードに強力糊を塗ってから粘土をかぶせた。
 次に、十分に乾燥させた模型に、木工ボンドを水で溶いて塗布し、そこに模型用パウダーをふりかけ、付着させた。パウダーの色は三種類とし、平坦面、堀や土塁、その他の部分を表現した。パウダーがなかなか付着せず、何度か繰り返し作業が必要であった。それでも粉がこぼれ落ちるため、つや消し無色の接着スプレーを吹きかけて安定させた。
 阿尾城跡の海水部分は、ポスターカラーで海の色を塗ったあと、透明の接着剤を厚く塗りつけ、波の様子を表現した。

模型制作の途中
模型制作の途中

3. 模型の展示

 製作した五つの山城模型は、平成22年10月15日(金)から11月7日(日)までを会期とする氷見市立博物館特別展「山城探訪―よみがえる中世―」で展示し、一般に公開を行った。
 特別展終了後の平成23年2月からは、常設展示室の導入コーナーに展示している。

特別展展示風景

4. まとめ

 模型制作を通して一本一本の等高線を切り取り重ねていくことで、改めて各山城の地形の特徴を確認することができた。
 特に、中村城跡では制作の途中で、これまで確認していなかった竪堀の存在に気付き、現地で確認することができた。
 また、五つの山城の縮尺を統一させたことで、森寺城跡の規模の大きさや、各城の主郭の広さが比較でき、一般の方にも説明がしやすかった。
 問題点として第一にあげられるのは、接着剤の選び方が難しく、パウダーを完全に安定させられず、細かい地形や遺構の表現が思うようにできなかったことである。
 また、阿尾城跡の特徴として、城下町やそこを起点とする街道の存在が重要な点であるが、山城部分のみの表現となった。
 一方、千久里城跡の模型には、岩屋部分も組み入れたが、1/500のスケールでは小さすぎて、正確に岩屋を表現できなかった。
 しばらくは常設展示室に展示しておく予定であるが、市販の材料で制作した模型がどの程度耐用性があるのか、経過を観察しながら活用していきたい。

常設展展示風景

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