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反魂丹伝説の成立について―『富山反魂丹旧記』の再検討
坂森幹浩(富山市民俗民芸村)
はじめに
富山売薬業の起源については、『富山反魂丹旧記』などの由緒書が伝来しており、現在もこれらを基本とした、いわゆる「反魂丹伝説」が様々な形で富山の人々に語り継がれている。
ただし、売薬の由緒はあくまでも伝説(註1)であり、内容の信頼性については十分注意を要する。その反面、なぜそのような伝説が作られていったのかということの考察も必要と思われるのである。
本稿では、『富山反魂丹旧記』を今一度検討することによって、反魂丹伝説の形成と成長についての私見をまとめてみたい。
1. 『富山反魂丹旧記』について
『富山反魂丹旧記』(以下『旧記』と表記)は、明治21年3月、岡本昭ミツ(註2)の編輯によるもので、一連の由緒書の中でも、『富山売薬業史史料集』の冒頭に所収され、従来から研究者に利用されてきた史料である。
現在は、A 富山売薬業史史料集本、B 大法寺本、C 富山県立図書館本(旧富山市立図書館本)、D 富山市売薬資料館本(註3)の4種類が確認されている(表1)。このうち、A本の底本となった高岡高等商業学校本は、現在その所在を確認できない。またB本とC本は、『富山売薬業史史料集』の頭註で異写本として紹介されている。なおD本は、これまでほとんど紹介されておらず、また富山市売薬資料館に収蔵された経緯なども不詳である。
構成は、各本同一であり、(い)富山反魂丹之事、(ろ)反魂丹由来并松井家由緒等書上、(は)万代家伝反魂丹薬方書、(に)売薬製法吟味につき触書、(ほ)富山町寛文六年分小物成皆済状、(へ)丁頭役申付書、(と)丁頭役仰付により申渡書、(ち)反魂丹由来につき妙国寺書上、以上8つの部分(註4)からなっている。一方各本にはそれぞれ表書や跋の有無、また語句の異同があり一様ではない。ではこれらの中で、どれが完本であろうか。
まず表書と跋の有無を見ると、表書はA本に、跋はC本とD本にある。A本の表書には、河上義載が富山前田家にあったものを明治20年に写したとしている。跋はC本・D本同文で、旧富山藩主前田利同が売薬業の由来について尋ねたため、明治21年に岡本昭ミツが編輯したと記してある。
語句の異同については、跋を持つC本とD本を比較すると、C本は抹消や墨消しがそのままとなっており、また脱字等も見られる。さらにC本は、罫紙に書かれているところから、D本の写しと見て差し支えないであろう。次に、表書を持つA本は、D本との語句の異同が大きく、校訂を加えた様子(註5)も見られる。
一方、B本を所蔵する大法寺は、第2代富山藩主前田正甫所縁の寺で、藩主菩提寺である。したがってB本は、『旧記』完成時に同寺に納められたものではないだろうか。なおB本については、跋はないものの、D本とは形状や語句等に異同はなく同一のものである。
これらのことから、『旧記』は明治20年には編輯が行われており、21年に完成したと見るべきであろう。そして、A本は草稿段階での写しであり、D本は完成して利同に提出されたもの、同様にB本は大法寺に納められたものと考えられる。そしてC本は、D本の写しと考えてよいだろう。したがって、以下はD本によって検討を進めることとする。
2. 『富山反魂丹旧記』の原史料について
では、『旧記』はどのように編纂されたのだろうか。跋には、①松井屋の子孫に伝わった古文書を写した(註6)こと、②維新の際に取糺した家記等を用いたことが記されている。
まず①については、松井屋の子孫と伝来史料が、『元祖反魂丹』(註7)で紹介されており、 (ろ)号、(は)号、(に)号、(ほ)号の原本も同書に所収されている(註8)。原本とD本の対応については表2に、また異同については史料1~4に示した。異同の内容を見ると、編者の岡本は、語句の修正に留めているといえよう(註9)。
では、②「維新の際に取糺した家記等」とは何か。
『富山前田御家譜』(以下『御家譜』と表記)(註10)は、奥書に「右ハ明治六年秋官ニ御書上ノ写ナリ、此撰ハ岡田呉陽ナリ」とあり、旧藩主前田家が政府に提出するため、元藩儒の岡田呉陽に編纂させたものである。この正甫の条(史料5)に、(い)号(史料6)の内容と同様の江戸城参勤事件―江戸城中で頓病に見舞われた大名を、前田正甫が反魂丹を服用させて治した―が記されている(註11)。また、『諸旧記抜萃』(註12)(以下『抜萃』と表記)下巻には、「富山反魂丹売弘候由来之事」が所収されており、その前半部分には、正甫の命で万代浄閑(註13)が反魂丹の処方を日比野小兵衛に伝授
(註14)し、それから松井屋が売り広めたという話(史料7)が記されている。また後半部分には、『御家譜』と同内容の話がやや詳しく記されており、『旧記』の原形ともいえる体裁になっている。このように、「維新の際に取糺した家記等」とは、『御家譜』であり、また、(い)号の原形、あるいは手控えと考えられる『抜萃』であるといえよう。
さらに、いま一つ『旧記』が利用した史料として『妙国寺旧記』(註15)があげられる。これは(ち)号の原史料と考えられるが、現在、妙国寺に原本は現存していない。主旨は、現在の常閑祭に相当する法会の際、藩主家の紋所を使用したい旨を願い出たものであり、そのために同寺と売薬の由緒を記している。
(ち)号と比較すると、語句の追加、削除などの異同が大幅に見られる(史料8)。まず、原本では「製薬仕売弘候処」となっているが、『旧記』では「製薬致し売弘メ方可仕旨御達ニ相成候ニ付」とするなど、正甫の功績を強調する意図が認められる。また、「一入尊敬」を「一入重く尊敬」と語句を加えるなど、藩主家の権威を高める操作も見られるのである。この他にも、「正甫院様」
を「正甫公」に、また「国々」を「皇国一般」にするなど、明治の新時代に合わせるために語句の書替え等も行われている。
では岡本は、『旧記』編輯に対して、どのような考えを持っていたのだろうか。①・②の内容や、原本との異同を見ると、およそ次のことがいえるのである。(一)
(い)・(ろ)・(ち)号は、いずれも正甫にまつわる由緒である。(二)妙国寺書上には、先に挙げたように、正甫の功績を強調するなどの内容の書替えが見られる。(三)旧藩主前田利同に提出されたものである。したがって、『旧記』は富山売薬の由緒を通して、旧藩主家の功績を示す狙いがあったと考えられるのである。
3. 『旧記』編纂と反魂丹伝説の成長
最後に、『旧記』の意義について考えてみたい。
江戸時代以来、売薬の由緒書は各種記されてきたが、それらを編纂したものとしては、『旧記』がその最初であるという点が注目される。また、内容については、売薬業における旧藩主家の功績を示すものとなっている。『旧記』の編輯によって、「反魂丹伝説」が旧藩主家公認のものとなったわけであり、その影響は大きかったのではないだろうか。『旧記』は、刊行されたものではないが、C本のように写本と見られるものがあることから、ある程度流布した可能性がある。そして、ここから「反魂丹伝説」の史実化が事実上始まったと考えられるのである。
その後富山前田家は、明治23年に『前田氏家乗』(註16)を編纂するが、当然そこには『旧記』の内容が反映している。その後、『富山沿革志略』(明治27年)、『富山売薬沿革概要』(明治33年)、『富山売薬の濫觴』(明治42年)、あるいは『富山市史』(同前)が次々と刊行されていき、「反魂丹伝説」は史実として広く紹介されていくことになったのである(註17)。
この史実化の過程が最も顕著に現われているのが、反魂丹の伝来や、配置売薬の起源についての年代の確立である。反魂丹伝来の年代について、江戸期は「正甫の頃」であったが、明治2年の「淡州表へ指出たる由緒書」では「天和年間」という年号が見られるようになる。そして、『富山沿革志略』に「天和3年」と明記され、それが『富山売薬の濫觴』や『富山市史』にも採用されている。一方配置売薬の起源については、江戸期は「正甫の頃」だが、明治3年の「御拝借金証文留帳」(註18)には「元禄3年頃」の年記が見られる。そして『富山沿革志略』、『富山市史』では「元禄3年」と明記されるようになる。このように、「天和3年」や「元禄3年」といった年代の確立には、『富山沿革志略』などの諸書が大きな役割を果たしたのである。
先に述べた、妙国寺書上との内容の異同に、反魂丹伝説が創られていく一端が垣間見られたように、『旧記』の編輯は、明治時代における「反魂丹伝説」成長の契機となるものであった。
おわりに
今回は、売薬関係由緒の形成過程について、ほとんど触れることができなかった。由緒の中には、立山山中での霊夢譚のように、立山信仰の影響を受けたと思われる話や、富山町以外の諸家で伝えられた由緒もある。これらについても、比較検討しなければならないだろう。今後の課題としたい。
註
(1)梅原隆章「富山売薬由緒書批判」(『越中史壇』4、昭和30年)。同「越中売薬と立山信仰」(『越中史壇』6、昭和30年)。坂井誠一「富山売薬業の起源に関する一考察―修験売薬とのかかわりにおいて―」(『富山史壇』56・57合併号、昭和48年)。この他、『富山県史』近世編Ⅳ近世下(富山県、昭和58年。)、『富山市史』通史・上巻(富山市、昭和62年)、『富山県薬業史』通史(富山県、昭和62年)等を参照。
(2)岡本昭ミツは、第十代藩主前田利保の側に仕えた人物である。「藤原岡本家譜」(明治二十五年)によると、昭ミツは、明治時代に入り小学校に勤務し、後に師範学校の執事や書記等を勤めている。十七年には、前田家御用弁方の書写方を依頼されている。恐らく『前田氏家乗』編纂のためであろう。また同家譜には、「同(明治)十八年二月廿四日御家扶ヨリ御達 昨年来旧記御取集メ之中ヨリ御編集被遊度右ニ付近日ヨリ右調方御依頼之旨御達」との記述もあり、『前田氏家乗』編纂のために数年をかけて史料収集をしていたことが知られる。『旧記』編纂の際にも、これらの史料を参考にしたのだろう。なお、岡本昭ミツの最後の字は機種によって表示されないことがあります。「イ+必」という漢字です。
(3)冊子。表紙含め14葉。
(4)『富山売薬業史史料集』の表記に倣う。『富山県史』史料編近世下には、『富山売薬業史史料集』を底本として、 (ろ)号(県史六二八号)、(ほ)号(県史五四七号)、(ち)号(県史六七五号)が所収されている。
(5)例えば、(い)号の題名について、A本は「富山反魂丹」であるが、D本は「富山反魂丹之事」となっていることなど。
(6)(い)号の末文にも、「今度幸ニ右源右衛門家ニ古ク持伝ヒタルヲ左ニ記載ス」とある。
(7)荻原みゆき著・橋本友美編著、荻原安雄発行、昭和58年。巻末に荻原家蔵史料目録が掲載されている。
(8)筆者未調査。松井屋由緒について坂井誠一氏は、「文書の形態、用語、用法の上からはこれを疑うべき余地が存しない」とし、また「この書上の原本が現存しないので、紙質、書体などはわからないが、この原本又は写しが「富山反魂丹旧記」の編纂された明治二十年代まで松井家(マゝ)に保存されていたことは確実と考えてよいであろう。」(『富山県史』近世編Ⅳ近世下)と述べている。なお、(へ)号、(と)号については原本の所在は不明。
(9)異同の中には、『旧記』編纂時のミスと考えられる箇所がある。D本は龍脳以下22種類の薬種を挙げた上で「右廿三味」としており、数が合っていない。一方原本では、D本では脱落している莪木が記されており、数が一致している。
(10)富山県立図書館蔵。
(11)他の前田家譜には、反魂丹に関する記述はない。
(12)富山県立図書館蔵。作成年代は不明だが、記載は明治17年まである。『前田氏家乗』編纂のために作成されたものであろう。
(13)現在は万代常閑と表記しているが、本稿では『旧記』の表記にならい浄閑とする。また、「万代」の読みについて、従来富山では、「もず」、「ばんだい」などとされてきたが、万代家は「まんだい」としている。
(14)浄閑来富譚については、「富山売薬履歴大綱」(明治三年)の創作と思われる。
(15)「以書付奉願候」。『越中史料』巻二・元禄三年条。妙国寺は、文政年中より反魂丹役所から祈祷料を下されており、富山では浄閑との由緒を認められていた。また万代家も、天保三年に「於同所(富山)は、反魂丹元祖万代常閑と石碑ニ記し、年々一度宛祭礼等仕、追々繁昌仕候由、既昨年も同所惣代之者私方罷越、右石碑再建立致し度旨届申ニ付、其段者差免し候、」(万代家文書『御用写・諸願留』より「口達之覚」)と記している。同家は、妙国寺に浄閑の石碑(同寺では分骨墓)があり、毎年祭礼を行っていることを承知しており、また石碑の再建も認めているのである。
(16)編纂当時は刊行されず、『越中史料』に分載されるに留まっていたが、昭和7年に富山郷土研究会より刊行された。
(17)『富山売薬業史史料集』第一編・第一集第一・第六号では「版本由緒書」として、これら刊本に見られる由緒を分類して紹介している。
(18)『富山売薬業史史料集』第一編・第二集第一三五号。
表1 | ||||||
種類 |
所蔵 |
表書 |
跋 |
語句の異同等 |
備考 |
|
A | 富山売薬業史史料集本 | 『富山売薬業史資料集本』所収 | ○ |
D本との異同が大きい。 | 底本は高岡高等商業学校本(現在は所在不明)。 | |
B | 大法寺本 | 大法寺(富山市) | D本との異同無し。 | 『富山売薬業史史料集』の頭註で異写体として紹介。 | ||
C | 富山県立図書館本 | 富山県立図書館 | ○ |
罫紙。D本とは内容の変更はないが、抹消や墨消しがそのまま。 |
旧富山市立図書館本。『富山売薬業史史料集』の頭註で異写体として紹介。 | |
D | 富山市売薬資料館本 | 富山市売薬資料館 | ○ |
B・C本とは、同一系統。 |
表2 | ||||
史料名 |
原本 |
釈文 |
D本と原本の異同の内容 |
|
い |
富山反魂丹之事 | 『富山前田後家譜』 | 史料5・6 | 原本に脚色を施し、内容を増加させている。 |
ろ |
反魂丹由来松井屋由緒等書上(松井屋由緒書上) | 萩原家史料「元祖反魂丹伝来の儀并家之由緒等書上申候」(萩原家蔵史料3号、袋・同4号) | 史料1 | 語句について若干の異同有り。 |
は |
万代家伝反魂丹薬方書 |
萩原家史料「反魂丹・奇応丸処方書」(萩原家蔵史料5号) | 史料2 | D本では反魂丹の薬種の数に誤りが見られる。 |
に |
売薬製法吟味につき触書 | 萩原家史料「覚 反魂丹売人江」(萩原家蔵史料7号) | 史料3 | ほとんど異同は見られない。 |
ほ |
富山町寛文6年分小物成皆済状 | 萩原家史料「寛文6年分富山小物成分請払算用之事」(萩原家蔵史料6号) | 史料4 | ほとんど異同は見られない。 |
へ |
丁頭役申付書 | |||
と |
丁頭役仰付により申渡書 | |||
ち |
反魂丹由来につき妙国寺書上(妙国寺書上) | 『妙国寺旧記(以書付奉願候)』(『越中史料』巻2所収) | 史料8 | 前田正甫の功績を強調するなどの書替えが見られる。 |
史料1~4、6、8、はD本を翻刻したものに、朱字で原本との異同を示したものである。以下はその凡例である。 | |||
原本になし | 部分の移動 | ||
文字の異同 | 原本のみにあり | ||
空白の挿入 | 文字間に語句の挿入 |
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